人間力をあげるためのブログ

人として成長したいと思うすべての方に、有益なブログを目指しています。

Quoraのフォロワーさん900人超えたので、ブログをはじめます。

はじめまして。keiと言います。

こちらは、個々の記事をご覧いただいた上で、より深くこのブログについて興味を持たれた方向けの内容となっております。ある意味でこのブログでお伝えしたいことを凝縮している記事と言えるかもしれません。

10000字を超えるボリューム、NHKのアナウンサーなら、読み上げるのに40分近くかかる程度の量となりますので、お時間ある方はお付き合いただければと思います。

さて、現在私は、改めて学びなおしたいという気持ちから、大学の哲学科に在籍しています。そして、余暇は出来る限り、読書や勉強に当てています。勿論、友人と遊んだり、好きなことに充てる時間もありますが、一般的な方に比べると、時間の使い方にはだいぶ気を付けているほうではないかと思っています。

なぜ、こんなことをしているかというと、のちに触れますが、とても少数派な考え方に、幸運にもたどり着いたからです。

そして、この考え方こそが、今までも、そしてこれからの時代に必要となる考え方の1つではないかと思っています。

しかしながら、以前の私は、この逆の生き方をしていました。生涯勉強とは程遠く、自分勝手で無責任に毎日を送っていたので、現在やる気が出ないとか、出来れば楽をしたいなんて考えている方の気持ちは、辿ってきた道でもあります。

そして、私は胸を張って言えます。人は変われる。そして真面目になることは損ではなくて、豊かな世界を知り、自尊感情が大きく向上するのだということを。

人が変わったようになってから、余暇の使い方は大きく変わったわけですが、あらゆる気づきも深まっていきました。

そして2021年にQuoraという知識共有プラットフォームを知ってから、2022年より3000件以上の回答をしてきました。Lilith Fairy - Quora

なぜこんなことをしているかと言うと、幸運にも考え方が大きく変わったことで、自分と世界を見つめる目が変わり、日本はこのままではいけない!という危機感と、人間力を高めることに意識を向ければ多くの方が今以上に素晴らしい人生を歩むことが出来ると信じてやまないからです。

何か肩書きがあるわけでもない、財力があるわけでもない、しかし、自分の経験や気づき、考え方というのは、何かしら人様の役には立つのではないか?そんな気持ちで回答を続けていると、2023年9月現在フォロワーさんが900人を超えていること、上手く考え方をまとめることが出来た回答に対して2桁、3桁の高評価をいただけたのです。

正直、この結果には私自身が一番驚いています。なぜなら、先も書きましたように、私の考え方は現代においては少数派であり、一般的と言えるものではないからです。

具体的に言うと私は、お金や地位などの分かりやすいステータスばかりを重視してしまい、人のもつ尊厳や価値を限定するような考え方に真っ向から反対し、内的な人間性の充実を長期的な視点から重視する考え方をしています。

それでも、思った以上に多くの方がフォローや高評価と言う形で支持してくださっていることは、大変ありがたいことです。

そして、これは、資本主義的な営利精神を優先した価値観に塗れた現代に生きていても、「何が本当に大切であるのか?」という問題意識を持っている方が、思った以上におられる証左でもあります。

もちろん、私は、営利精神や経済性の優先をすべて否定する気はありません。私自身夢を追いながら生きてきた経験がありますから、お金のない状況は人並には理解していますし、生きていくために経済性を度外視することはできません。

それでも、お金などの分かりやすい価値ばかりを追い求めてしまい、人間の計り知れない可能性を切り捨ててしまうような生き方が、最善とは思えません。

ご周知のとおり、現代社会は人々が苦しむような問題点ばかりです。

これは、多くの人が搾取される社会経済のシステムでは、万人が幸せになれないことを意味しています。

具体的に現代の世界情勢を見ても、富の集中による問題点が浮き彫りとなっています。GDP第一位のアメリカにおいても、例えば、カルフォルニアでは「950ドル以下の万引きはお目こぼし」サンフランシスコ事情の背景【藤森かよこ】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)という、びっくりするような法律がまかり通っています。

これは、貧困層が多いことや、取り締まるよりも緩めることで犯罪率を下げていくための苦肉の策という一面を加味しても、だいぶ異常な姿だと言えるでしょう。

また、日本でも、正社員として普通に安定して暮らすことが難しくなっていますし、そこに離婚率の高さによる問題も重なってきています。繰り返しになりますが、資本主義の社会経済構造、言い換えるとお金至上主義では、私たち人類は幸せになれません。

では、大きな社会の流れは止めることが出来ないのか?不幸に突き進むとしても、ただ傍観して諦めるしかないのでしょうか?

私は、そうは思いません。

テレビ番組にしろ、youtubeなどのネットサービスにしろ、視聴者の方が何を好むかがプログラムを決定していくのです。

その最たるものが、選挙です。選挙に行かないとか、興味ないから自民党に入れておこうというのでは、自分の乗っている船の行き先を問わないのと変わりません。国民が何を考えていて、何を選ぶかにより、未来は変わる。これはあらゆる時代の先哲や、心ある知識人が提唱してきている通りです。

しかしながら、人がやっていないことをやるのはリスクではないか?馬鹿を見るのではないか?とお考えの方は、ぜひ、他の記事もご覧になっていただきたいと思います。

よく考えてみると、自分のことで精いっぱいであり、自分に直接関係のあること以外は興味がないという態度は、実は、自分自身を大切にしていないのと変わらないのです。

これは、自尊心とは何か?愛とは何か?ということと大きく関わってきますが、本当に自分を大切に出来る方は、自余の問題も大切に考えます。

ここで、ご存じの方も多いかもしれませんが、ソフィアさんという1人の主婦の方が声をあげたことが、多国籍企業を変えることにつながった事例のリンクを載せておきます。

youtu.be

これはソフィアさんの熱意や、多大な努力によるわけですが、1人の主婦の方の声が、多国籍企業の問題点是正の大きな力に発展したのです。

1人の気づきから始まり、ここまで展開していった事実は、私たちに大きな希望を与えてくれます

しかし、ソフィアさんのように、大きな偉業を成し遂げるかどうかは問題ではありません。私たちが自分の立場から一生懸命に考えたり、努力をすることに重要な意味があります。

ソフィアさんと同じく主婦の方であれば、私は、安全な食事を家族に提供することや、お子さんに対する家庭教育に対して懸命に努力なさるのが何より大切ではないかと考えます。これは他の方には出来ないことです。

子どもにとって、お母さんは世界にたった一人であり、そのお母さんが、本気で家族を思い生きているということの影響力は、はかりしれません。

このブログでは、遠慮なく、忌憚なく物事を言うようにいしていますが(極論、どんなに得であろうが、お金を積まれても、良いと思わないことは評価しません。)

家庭のお母さんといっても、本当に雲泥の差があります。

雲の方の例として、私の友人の母は、フルタイムでお仕事をしながら、外食をするとき以外は、手作りの食事を家族に提供していると言います。

これは、大変難しいことであり、人の2倍働いていると言えるわけですが、これを皆さんは無駄だと思いますか?それとも、家族の健康に貢献し、多大な良い影響を与えていると思いますか?

少なくとも、友人はお母さんのことを大変尊敬していて、良い影響をたくさん受けています。まだ若い友人ですが、お母さんに対する尊敬や感謝の念が溢れていると感じます。

お母さんにとって、お子さんから尊敬されて、感謝されることほど尊いことはないのではないでしょうか。

泥のほうとしては、朝子供や旦那さんを送り出すこともせず、一番最後までベッドで寝ていて、ご飯は作らない。夕食は宅食を頼んで、家事もほとんどしません。一つの怠慢の例として、面倒だから洗濯物をため込んだ結果、あまりに量が多いため、洗濯機が何回か壊れているそうです。そして、宅食の前は、子どもたちは毎日コンビニ弁当をあてがわれていたといいます。また、家事をしていない主婦として問題がある罪悪感からか、週に3回ほどアルバイトをしているそうですが、目を向ける先が間違っていると感じます。

そんなお母さんも、お子さんにとっては大切な母親ですし、その環境で慣れてしまっているから愚痴もでないのでしょうが、私の友人のお母さんのような、良妻賢母の話を聞いたら、どう思うでしょうか。

それでもうちの母親は素晴らしいというのなら、おめでたいわけですが、真っ当な価値基準を持っていれば、心の奥で自分のお母さんを誇りには思えないでしょう。

本当に有難いなと思うのは、相当な育て方をしても子供は親を思ってくれます。しかし、それは尊敬ではなくて同情かもしれませんね。

親として子を持つ機会に恵まれたのなら、子どもの手本となり、子どもの心に何か大切なものを植え付けるぐらいのことが出来たら、私は、大変立派なことだと思います。

それが出来るか否かは、人間力にかかっています。

人としての自覚の深さ如何で、人の行動は決まってきます。

同じく、お母さんという立場でなくても、あらゆる立場から、一生懸命自分なりに頑張るということが、その人の心境を表していますし、更に必ず誰かが見ています。少なくとも自分は知っている。天知る吾知るです。

私の母はも、口癖のように言っていました。「誰も見てなくても自分がわかっている」と。

人が見ていないところでの行いが、その人の自尊心の高さを表しています。

私が尊敬し多くの影響を受けている方の一人である、経営コンサルタント小宮一慶さんは、自らの会社で毎日行う掃除で、男子トイレの掃除を担当していると言います。それ以上のことは書いておられませんが、社長が一番大変なところを担当されているわけです。(小宮さんは、自らの徳をひけらかしたいから書いているのではなくて、そのことの意義を私たち読者に伝えるために、あえて自らのお話しをされているのです。そのほかにもリーダーが矢面に立つことの意義を、あらゆる例で紹介されています。)

一番不浄なところを、代表者が掃除をする。それも気持ちを込めて徹底的にきれいにする。この意味が分かる時、人間としては不幸になるわけがないと思っています。

ここまでご覧いただけた方はもうお分かりだと思います。私が何を伝えるためにこのブログを始めたのかということを。

人としてのありかたを見直したり、整える、これは現代社会においては優先度が低いとされているのかもしれませんが、もっと高い視点ですべてを見るならば、人間としての部分が何よりも大事な部分です。よくたとえられるように、土台のない家を建ててもいずれ崩れます。まずは土台からの部分が、人間力だと信じています。

ソフィアさんのように、世界的なムーブメントになることではなくて、自分なりにやれることをやる!という意味は、中々ご理解いただけない部分でもありますから、少し丁寧に触れておきました。

そして、皆ナンバーワンになることはできないとしても、自分なりのベストを模索して挑んでいくことの価値、これをこのブログをご覧の方々にはつかんでいただきたい。

ここで一言付け加えておきたいのは、はじめは、自分が幸せになりたい!満足したい!という気持ちで十分だということです。

はじめから崇高な気持ちを持っている方、はよほどの人物であって、普通は自分の都合で生きているものです。そこで、自分の都合に対して、気持ちを込めてやってみる中で、適当に生きていては気づかない大切なことが沢山あります。

特に、今、孤独であったり、本当は現状から逃げ出したい。このような「生きにくさ」を抱えている方は、苦しさと同等かそれ以上の飛躍の可能性を秘めています。

私自身を考えてみても、逆境というのが自分を大きく変えています。苦しいけれどどうすれば良いか分からない、そんなとき、人はあらゆることを考えます。場合によっては色々なことにも挑戦してみます。ただ、自分が救われたいだけだとしても、その苦しさが、行動の原動力となります。

しかしながら、ここで目を背けることが出来ない事実があります。

それは、本人が逆境から何かをつかみ、自分の財産とするのか、人間が腐ってしまい臆するだけになってしまうかは、ある程度遺伝子によるのでです。

前半と論調が違うのではないか?と思う方がおられますので、先に結論を言えば、私は、遺伝は事実であるが、人との出会いの中で(書物も可)価値観を広げる、人間力を高めることで、価値観が変わっていき、問題なく自己実現は達成できると考えます。

ただ、そのためには、あらゆる幻想を壊さなければいけません。

まず、遺伝子の違いが、健康から、精神状態まであらゆるものを決定していることは否めません。

私たちの傾向性は遺伝が決めているのは確かです。非常に研究肌で論理的思考力も高く、科学者の道を歩む方というのは、やはり近い親類に学者の方がいたり、職業こそ時代背景などで異なっていても、気質が似ているというのは、わざわざ論証することもないことです。

親戚を集めれば見た目の特徴があるように、職業の階層の差が出ていることも多いです。

では、遺伝的なことで人の限界は決まってしまうなら、人は不平等で理不尽な世界で生きていくしかないのか?

これは、知的なパラダイムを大きく転換させる必要があります。

心のどこかで、年収が高いほうが良い、社会的地位が高い方が良いという、生産性の基準で自分を評価してしまっていることが、自分を苦しめてしまっているのです。

あなたの周りにもおられませんか?

相手の学歴や職種、年収を聞くや否や、あからさまに態度を変える方が…。

大変失礼な言い方ですが、こういう方は思想が浅い、そして、このような考え方を我々は全脱出来ていないところに、人間の、日本の、世界の限界があると思っています。

ものすごく極端なことを言えば、サラブレッドと農耕馬を、同じレースに出せば結果は自明でしょう。ウサギと亀のお話のように、サラブレッドが何もしなかったり浮かれているときに、農耕馬が一生懸命やれば、確かに勝つチャンスはありますが、これは一理はあっても、勝ち負けを相対的に観ている限り、この話は活きてきません。

私たちは、人それぞれ全く能力も個性も違うのですから、そもそも一つの基準で甲乙をつけることが間違っています。

これは、西洋的な縦社会的な価値観を押し付けられたことが大きな原因ですが、本来は人は役割分担の差しかないのです。

サラブレッドは、サラブレッドの生き方がある、農耕馬には農耕馬の生き方がある。問題は、この個体の差ではなくて、自分としての個性を全力で生きているか。どこまで自分として頑張れているか。

製品を作り販売している会社を考えた場合、モノ作りが大変うまい方が現場で一生懸命に作業をなさっている。それを管理する方がいれば、営業として売り込む方もいて、経営して舵取りをする方もいる。

ここには、役割の差があるだけで、もし恥じるのなら、自分に嘘をついたり、手を抜くことです。

それぞれが、自分の輝きを最大限に引き出そうと努力していれば、自分の役割を恥じる必要などみじんもありません。

繰り返し言いますが、問題は自分としての役割を全うできるかどうかです。

ですから、私は、一般的に言われている、役職が縦社会の上にあるほど偉いとは考えません。(序列というのは、価値基準の一つです)

懸命にやっていれば、自分の能力や資質に見合った場所や機会が見つかる、それが立場や地位です。(ほかの記事でご説明しますが、どの順序で物事を考えられるかは思想の深浅が表れています)

なぜ、役職や年収を基準にばかりしてしまうかと言うと、欲求を満たすことが価値のすべてだと誤解しているからです。

本当の喜びは、一時的に満足できる欲求を満たすことではなくて、自分として真に生き抜くことです。

一度、自分の欲することを達成したときに、自らがどのような心の変化が起こるのか経験をされると、これは、如実にご理解いただけると思います。

仮に、相対観に毒されて、いつまでも欲望を満たすことに支配されている限り、100万円が欲しいと願いがむしゃらになり得たとしても、次は、それ以上の額を求めるようになります。達成感や喜びはひと時で、もっと欲望が刺激されるのです。

そうして終わりのない、いつまでも自尊心が満たされない不毛なレースに身をゆだねていく。これでは、幸せにはなれません。

繰り返しますが、欲望を満たすことだけが人生の価値、意義ではありません。ほかの尺度が必ずあることに気づくには、眼をきちんと開いていかないといけません。

例えば、先ほど主婦の方を例にお話をしましたが、私は、仕事と家事を完全に両立が出来なくても良いと思っています。お母さんという役割にご縁があったのなら、まずは足元から、きちんと全うしていければよいと考えます。

では、どうすれば、人間力を高めて、自分らしい生き方を全うできるのか?

これは、幸運にもご両親が殊勝な方であれば、恥ずかしがらず親御さんに見習いましょう。総じて自らが未熟なうちは、その価値が見えないものであることが、私たちの成長を妨げる一番大きな理由なわけです。なので、先ほどお話ししたように、生きにくさというような苦しみは、今の自分をぶち破るための強力な契機となり、私は最大のチャンスだと言いました。

問題が見えないうちは、成長できませんし、まさに、遺伝的な部分に自分を支配されてしまう。運命を創るには、そのための材料と、決意が必要です。これは、人生経験による痛みや苦しみが大きく担当してくれます。そして、これらをより良い方向に向けてくれるのが、人との出会いだと思っています

そこで、大切なのは、本物と触れることです。

私たちは、一番見つかりにくいところに答えがあると思っていますが、半分合っています。本物は、身近にありながら、一番見えにくい物の中に宿っています。

その1つが、母が子を思う愛情です。小さいうちは親のエゴや個性が前面に見えるでしょうが、母子の時間には愛が遍いていることは、後になって気づきます。

かけがえのない価値は、派手ではありません。

音もなく香もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかへしつつ

これは、二宮尊徳さんの書かれた歌ですが、私は、この言葉が、いつも頭の中にあります。書かざる経に触れる力、これは私自身が15年求めてきたことであり、今後も求めていくものです。

「巧言令色鮮し仁」と論語で言いますように、本物=派手で、売れている人とは限りません。もちろん、大谷選手のように、前人未到の活躍に伴う知名度と、人間力が伴っている方もたくさんおられますが、どうも、宗教や、自己啓発などの精神性に目を向けるジャンルにおいては、利己的な動機に覆われていると思われるかたが少なくありません。

  1. 歴史的宗教の教義を踏まえ非常に良い教えを伝えているが、営利目的と化し、豪奢な暮らしのために信者さんを集めている規模の大きな宗教。
  2. 粗削りで、教えに稚拙さは残る物の、利他のために動いており、信者さんを我がことのように大切にしてくれる小さな宗教。

この2つがあるならば、間違いなく後者の宗教の創始者が本物です。

しかし、私たちの認知の問題として、規模が大きい=それだけ素晴らしいという判断をしてしまい、1に魅力を覚えてしまいます。

だからこそ、物事を透徹出来るような判断力を身に着けるべきだと思っています。

迦葉さんと釈尊「拈華微笑」という話は非常に有名ですが、あれは、お互いに本物であるからこそ、通じ合えるのです。

自らが本物に近づかないと、いつまでも本物が分かりません。ですから、最初から、本物を見つけるのは難しくても、よき人生の師を求めてほしいと思います。

先にもお話ししましたが、本物は、身近にひっそりと咲いている花のような存在です。日ごろ気に留めていないぐらいに、さりげないのが本物のあり方だと思っています。

だからこそ、何も分からない私たちは遠回りをしながら、時に人を傷つけたり、見えざる罪を重ねながら生きています

しかし、これは上からみたら一周しただけでも、横から見たら一段高いところにいる、まさにヘーゲル弁証法の螺旋的発展の段階を進んでいると感じるのです。

おそらく、人生は、こうやって遠回りすることに意義がありますが、現実世界においては、自覚の浅さ故の傷に溢れています。時として人の未熟さが生み出す言行が、人の一生に影を落とすこともありますため、自覚を深めることに大きな意味があります。

たしかに、人生は、一生懸命に自分のために働く努力をして、身近な友人と良い関係を築くという通常の営みだけでも、大変なことです。

しかし、それで人生は及第点か?というと、厳しいですが違った視点を涵養していくことで、己が人生は花開いていくと思います。

自らに対する深省という態度と、世界の構造を俯瞰するということは、超越的視点が内部か外部のどちらに向かったかの違いです。

私たちは、どこか超越した視点を持つことで、人生を深め自己実現に向かうことが出来る、その契機が、苦労の中には溢れていると思っています。

ですから、このブログでは、今苦しい方に、その苦しみと同等かそれ以上の、成長をしていただく助力となるべく、質の高い記事を書いていきたいと考えています。

長くなりましたが、Quoraを通じて、現代的な価値観を越えた考え方をまとめることの意義を再確認させていただき、確実にニーズがあり、私自身の成長がそのまま、他の方の思想を深めることにつながる可能性を捨てきれないのです。

もう一つ、Quoraの中でも如実に感じますが、私たちに身近なところでも、時代が変わってきていると肌で感じます。

このことについて、まず、母に教えてもらったyoutuberさんをご紹介します。

www.youtube.com

ぺこりーのさんは、仕事を退かれて、1年半前まで月に約11万円の年金で生活をしていたと言います。しかし、よく考えてみると、ぺこりーのさんのように、年金だけでは生活が大変と言う方がたくさんおられることに思いがいたり、何か自分の配信が他者を勇気づけられるのではないか?私の日々から参考にしてもらえるところがあるのではないかという気持ちで、youtubeでの動画配信をはじめたと言います。

しかし、皆さんは、直感的にこういうちゃんねるにどの程度のニーズがあると思いますか?

私は、何も考えないと、有名な方でもなく、特色もないのなら、登録者数数千人以上の壁は厚いのではないかなと思いました。

しかし、ぺこりーのさんは、チャンネル登録者数が5万人以上で、収益も年間に300万円を超えているといいます。

私は、自分の認識が今についていっていないと自覚し、会ったこともないぺこりーのさんに対して、勝手な臆見で誤解をしてしまったことを反省いたしました。

では、普通の方が、日常生活を流しているのに、なぜそんなに人が集まるのか?

ここで考えたいのは、ロラン・バルトさんが「モードの体系」で論じているように、服の流行り一つが、ボトムアップで広がるというよりも、トップダウンで作り出されているのが現代社会の特徴です。

私たちは、そのものの価値を見ているのではなくて、作り出された、見せられたイメージの世界、記号の世界に生きているのです。

アイドルにしても、タレントにしても、ボトムアップで火が付くということよりも、作り上げられた虚像を繰り返し浴びせられることで、私たちは良いのだよと教育されているのです。その大きなものが、スローガンのような、いつの間にか生活に浸透している考え方です。脱カーボン社会というようなものです。

キリがないので単純にひとまず、このブログの主旨と絡めて、ぺこりーのさんのすばらしさを紹介させていただきます。

どうやらぺこりーのさんは、愛する奥様には先立たれてしまってから、外食を中心に生活をなさっていたそうです。

しかし、ある時「今の健康があるのは、妻が毎度健康的な料理を作ってくれていたおかげではないか。それを無駄にしてはいけない」と思い、以後、自炊をするようになったのだそうです。

私は、こういう気づきがある方だから、youtubeの再生回数も伸びているのではないでかと思います。そして、ぺこりーのさんが行動を変えられた大きな理由は、本当の感謝とは何かを分かっておられるからでしょう。

では、本当の感謝とは何か?

口でありがとう、感謝しているよと発することではありません。

それは、極端なことを言えば、自動販売機のボタンを押したらドリンクが出てくることと大差ないと思っています。

そうではなくて、感謝とは、有難い思いをしたことを忝く思い、その分相手の役に立とうと決意することです。

いつも奥さんに世話になっていると感謝するのなら、そんな相手のために自分も何かしてあげたい、苦しみを除き、楽を与えてあげたいという思いから、動かずにはいられないことを感謝と言うのではないでしょうか。

感謝とは、恩返しを始める決意に他ならないと思います。

そして、これは、感謝の対象が、ぺこりーのさんのように、奥様が他界されていた場合消えるものではありません。

奥様の思いを継承するという形で、奥様が大事にしてくれた我が身を、同じように大事にしていくこと、これも努力や工夫を伴う感謝からの行動です。

奥様に真に感謝し行動するぺこりーのさんは、非常に徳の高い方だとお見受けしました。

彼は豊かな世界を生きているからこそ、本当に、自らと同じような暮らしをしている方にエールを送りたいという慈悲の思いが、youtubeをはじめる動機として確実に存在している。その人間性の高さが、収益と言う結果をもたらしていると思います。

もちろん人間ですから、もう少し金銭的な余裕があればよいな!という気持ちはあるでしょうが、それが全てではないところに、大きな意味があると思っています。

ぺこりーのさんの例を出させていただきましたが、普通に全国に数多くおられる年金受給額に満足していない一般の方が、youtubeで大きな収益を得ているということに見られる事実は、専門性を有したプロフェッショナルの優位性が揺らいでいることを表しています。

この実例として、私は、音楽活動をしていたことがありますから、レコーディング環境の変化についてお話をしてみます。

皆さんは「ロスにレコーディングに行ってくる」というようなセリフを聞いたことはありませんか?

少なくとも、今の30代以降の方であれば、海外のほうがエンジニアさんの質の高さなど、環境が日本よりも優れているために、最高の音質を求める方は海外でレコーディングをした時代があったことを理解していただけると思います。

他にも、メタルのレコーディングの場合、北欧がやはり強いと言われています。土壌が違うのですね。日本が演歌や歌謡曲のように、泣きのメロディが強いように、北欧、スウェーデンフィンランドという地域は、メタルの本場であり、場数が違い、ノウハウの蓄積も雲泥の差と言えます。

しかしながら、今は、レコーディング一つも、エンジニアとしての経験がなくても、音楽ソフトの発達により、自宅の一室で撮った音源が、ものすごい品質が出来てしまう時代です。

地下アイドルが、プロデューサーの自宅でノイズガードを付けたコンデンサーマイクに向かって、テイクを重ねて作った音源が、実際に聞いてみると、ひと昔に一流の機材と一流のエンジニアさんにより作られたものと変わらないということが起こっているのです。

一部の人にしかできなかったことが、専門性を有していない一般の方でも出来るようになっている。

これは、技術革新と共に、より鮮明になっていくのではないでしょうか。

現在、農業一つも、収穫予測などが出来るようになっています。

www.optim.co.jp

しかし、専門性の優位性が揺らぎ、一般化されているという事態にも当然功罪があります。

AIが進むことで、果たして全人類が幸せに近づいていくのか?

当然、職が奪われるという懸念が残っています。

AIは実感が持ちにくいとしても、商店街がシャッターだらけという状況なら、容易に想像ができると思います。

これは、大手チェーン店が参入することで、個人店が閉店に追い込まれるということです。私の生まれ育った地域でも、〇〇商店街というような、個人店の集まりは同じ惨状です。

そしてネットショッピングにより、人々は地元のお店よりも、家まで届けてくれて便利なサービスを利用し始める。

これは、時代の流れと言えばそのとおりですが、資本が1つに集中するという怖さに目を向ける必要があります。

ただでさえ、資本主義社会は、富の集中をもたらしてきたわけですが、さらに、貧富の差は広がる可能性が大きいと言えます。

人間の性として、政治の分野までAIに任せるということは簡単には起こりません。

起こるとしても、既得権益を守るべく、一部の人間の特権を認める中国共産党のような間違った支配社会が訪れるかもしれません。

そこに対抗すべくは、本当に、世界の中の日本の国益と、国民一人一人の幸せを願う、人物による高潔な志と、確かな慧眼を持ったビジョンが織りなす、至誠の政治でしょう。

私は、至誠の政治を行う可能性があると考えるのが、参政党と、れいわ新選組山本太郎さんです。

なぜなら、彼らは、既存の政党が一切タブー視し言及しなかったことに切り込んでいます。

現在も、国民民主党立憲民主党、維新の会、公明党社民党など、様々な政党がありますが、彼らの演説から、個人的なブログなどを見ても、日本の実情について声を上げた方は、ほとんどおられません。

最近であれば、立憲民主党の、原口さんは、だいぶ言いたいことをおっしゃっています。

しかしながら、私は、国会議員の多くは、勉強不足であるか、もしくは、総理などの職についてはじめてわかることが多くあるのだと思います。鳩山元総理は、総理になってはじめて知ったことについて、語っておられたのを記憶しています。

ここで勉強不足と言うのは、youtuberの小宮こうじさんは、商社にお勤めであった数十年前に、この世界が一部の人間が支配で動いていることを見抜いていたと言います。

確かな慧眼と、「たゆまぬ努力を続ければ、切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 踏み込みいれば ここは極楽」ではないですが、どこにいても世界を知ることが出来るのではないかと思います。

するとおかしなことに、霞が関という国家中枢にいる議員や官僚の方が向こう見ずであり、都市部から離れた場所にいる方のほうが、よほど世界に通暁しているということが起こるのです。

最後に、私の考えていることは、最初にお話ししたように少数派であると感じます。しかし同時に、普遍性を宿しており、混迷を極めるこれからの世界に対して、東洋から発する大和魂の復古の一部として、多くの方に対して価値観を広げ、視点を高め、人間力を涵養していくことの基となる思想を提供できるのではないかと信じています。

ここまでご覧いただける方がどれだけおられるか分かりませんが、私は、吉田松陰先生の生き方に大きな影響を受けていますため、既存の宗教のように大上段に構えるという気持ちは持っておりません。いずれ、また記事で吉田松陰先生について、乙女も恥じらう優しさをお持ちであったことなど、弟子の方が伝えられた逸話などご紹介できればと思っています。

非常に長くなってしまいましたが、ここまでご覧いただき本当にありがとうございます。